History
沖縄がまだアメリカ世のころ、創業者である父・嘉数明安は当時勤めていた会社の東京出張時、偶然通りかかった建築現場でユニッククレーンに出会い、そのパワフルに働く姿に一瞬にして心を奪われました。
当時、建築関係の仕事をしていた父は、沖縄の現場でもユニッククレーンに活躍してもらいたいと猛烈に思いました。
当時、建築関係の仕事をしていた父は、沖縄の現場でもユニッククレーンに活躍してもらいたいと猛烈に思いました。
左から3番目(創業者 嘉数明安)
体一つで古河ユニック㈱へ飛び込み、沖縄県での販売代理店及びサービス工場の契約を結び、1975年、大きな借金を抱えて会社を設立しました。
本土復帰後間もない当時の沖縄県では、サトウキビの生産が盛んでした。そこで父は、キビをダンプカーに積み込むための専用クレーンを古河ユニックと共同で開発、それが農業機械として国から認められ、本島のみならず離島の各製糖工場からも注文が殺到する、大ヒット商品となりました。
本土復帰後間もない当時の沖縄県では、サトウキビの生産が盛んでした。そこで父は、キビをダンプカーに積み込むための専用クレーンを古河ユニックと共同で開発、それが農業機械として国から認められ、本島のみならず離島の各製糖工場からも注文が殺到する、大ヒット商品となりました。
時は流れて現在、県内は建築ラッシュで土木・建築・運送業が盛んとなり、現在の主力商品はトラック積載型クレーン「ユニック車」へと移り変わりました。時代と共に主力商品は変わりますが、これまでの半世紀、働く皆さんを共に支え、支えられて過ごしてきました。
これからもユニッククレーンの事なら真っ先に「嘉数重工」と頼ってもらえる存在であり続けるよう惜しみなく技術と知識を学び、未来に向けて歩み続けます。
これからもユニッククレーンの事なら真っ先に「嘉数重工」と頼ってもらえる存在であり続けるよう惜しみなく技術と知識を学び、未来に向けて歩み続けます。